

英語を勉強される方が、アメリカのドラマや映画の俳優のようにかっこいい言い回しや発音にあこがれることはよくあると思います。
しかし、英語を母国語としない私たちが日本に住みながら、そこまで表現できるようになるには並大抵でない努力がなければ難しいでしょう。
ですが、はたして本当にそこまで素晴らしい英語を目指す必要性があるのでしょうか?
今回は「ネイティブスピーカー」を目指さなくても良い理由を解説していきます。
ネイティブスピーカーのようになるのは難しい
日本人の多くの人が、「いざ英語を話そうと思っても、それに合う単語の表現が思いつかない」とよく言います。そのため、外国人に話しかけられても、ひたすら口をあんぐりさせている状態になってしまうのです。
私たちネイティブスピーカーではない日本人が10年程度勉強したところで、微妙なニュアンスを伝えられるようになるのはかなり難しいです。
書店に行くと、「ネイティブスピーカーみたいに話せるようになる」といったタイトルの本がたくさん売られています。
中を見てみると、確かにどの本も「なるほど」と思えることがたくさん書いてあります。しかし帰国子女でもないかぎり、普通の日本人が何年か英語を勉強したくらいで、ネイティブスピーカーみたいに話せるはずがありません。
TOEIC800点以上の高得点の人でも、試験では高い点数がとれますが、それでもあまり会話が得意でない人がざらにいます。
ネイティブスピーカーのように話せなくても良い
英語を勉強している人すべてがネイティブスピーカーのような英語を話す必要などあるのでしょうか?
私はその必要性は無いと思っています。
私の留学時の経験や仕事で使ってきた英語の経験からですと、決してネイティブスピーカーのような発音や流暢さがなくても、しっかり「相手に伝わる英語」を話せば完璧ではなくても十分にコミュニケーションがとれます。
特に初心者の方が基礎を十分に固めずに、いきなり気の利いた言い回しや完璧な表現を追求するのは非常に効率が悪い勉強になってしまいます。
「かっこよさ」や「流暢さ」ではなく「相手に伝わる英語」を意識しましょう。
標準米語は、世界の英語の中の少数派
私たち日本人が理想としている英語とは、世界に3億5000万人くらいいるといわれる英語を母国語とする人たちの中の、アメリカ合衆国、それも中西部からカリフォルニア西海岸あたりと東海岸の一部に住む裕福な人たちが話す「標準米語」という英語です。
これは英語を母語とする人のうち、ほんの数パーセントの人たちだけが話す言葉と言われています。当のアメリカでもこの「標準米語」を話している人は少数派です。
多くの日本人が「ネイティブスピーカーの英語」として勉強しているのは、そういう英語です。でも世界を見渡せば、インド人もフィリピン人もオーストラリア人も、英語を公用語として使っています。
また、あなたが英語で会話をする相手は、もしかすると英語を母語とするネイティブスピーカーよりも、中国人やタイ人のような非英語圏に住むノンネイティヴのほうがはるかに多いかもしれません。
非英語圏に仕事や旅行に行った際でも、やはり現地の人との会話は英語が中心となります。
「国際会議」の英語を目指そう
そう考えると、ネイティヴ並みの高度な言い回しで悩むよりも、最低限の意思疎通ができる程度の英語をマスターするほうがはるかに重要だと思います。
それではどのような英語を勉強したらいいのかというと、「国際会議」で使われているような英語を目指すのが良いと思います。
例えば、国連などで使われている言葉の大半は英語です。しかし、そこで働く人たちの大半は英語を母語としない人たちです。
そのため、そこで求められるのは、「気の利いた、かっこいい英語」ではなく、「確実に通じる英語」です。
つまり、内容はしっかりしているものの、難しい単語はほとんど使わず、発音も「標準米語」のものではありません。時には文法の間違いだってあります。
そうした「国際会議の英語」を使ってそこに集まる人たちは会話して、十分にコミュニケーションをとり、それぞれの意見を言って、話し合っているのです。
私たちは、少数派の「標準米語」の英語だけを追い求めるのではなく、こうした「国際会議の英語」を目指して勉強していくべきだと私は考えています。
まとめ
私たち、日本人が「ネイティブスピーカー」の英語としてあこがれる、気の利いた言い回しを含んだ英語は、世界的に見れば「アメリカに住む一部の人たちが使う言葉」にすぎません。
英語学習がどうも苦手で、という方はいきなり難しい表現を覚えるのではなく、まずは中学生のころに習った簡単な表現を、「確実に相手に伝える」訓練をしたほうが良いでしょう。
簡単な表現でも相手に確実に伝わるようになれば、英語学習が楽しくなり、徐々にステップアップできると思います。
今回は以上になります。